ハワイの歴史1 ハワイ統一までの経緯
ハワイの島々の権力を統一してカメハメハ王朝が成立するまで
1.ハワイ統一までの経緯
カメハメハのエピソード
島々から成るハワイを統一したのは、ご存知のようにカメハメハです。
(左の写真が大王像:ダウンタウン州最高裁判所前)
カメハメハは、身長約2m、武術、学術に優れた正にカリスマだったと言われています。
そのエピソードは、14歳の時にナハ・ストーン(約3.5t)もある巨岩を持ち上げたという話(伝説)や、当時ハワイを訪れてきたイギリス人たちから英語を学び、たちまち話せるようになるなど・・・。 出生時にも、空に彗星が現れ、その母のうわ言などから、「王を食うものの誕生」だとして当時のハワイ王アラパイによって暗殺されそうにもなります。
これらの話は伝説的な話のように聞こえますが、カメハメハは実在の人物です。
西洋人の来航とハワイ島における勢力の分立
1778年、イギリス人キャプテン・クックが来航したのをきっかけに白人との接触がはじまりまります。
1780年ごろのハワイは、王族が分立支配。 オアフ島・マウイ島・近くの島々は、マウイ王カヘキリによって支配されており、 これをハワイ島のカラニオプウ王(リロア王直系)が狙う構図がありました。
1782年、カラニオプウ王が死去しますが、その後継を二分し、政権(王位)を息子キワラオに、祭司権(守護神クーカイリモクを祭る宗教者の権威)を甥のカメハメハに継がせました。 面白くないキワラオは、カメハメハを滅ぼそうとしますが、カメハメハは、その計画を察知して軍を滅ぼします。
キワラオの後、ハワイ島には三つの勢力(1)ケオウア[カウの大酋長]・(2)ケアウエ[ヒロの大酋長]・(3)カメハメハ[コナ]があり、マウイ王カヘキリは、これを混乱させ崩壊させようと企んでいました。
この計略に掛かり、ケオウアがケアウエを滅ぼしますが、カメハメハはカヘキリの動きを知っていたので、 1790年マウイ島に侵攻してカヘキリに挑み、イアオ渓谷の戦いで大勝利します。
勝利したカメハメハがハワイ島に軍を戻そうとすると、ケオウアの不穏な動きを耳にします。 しかし、ちょうどその頃突然キラウエアが大噴火を起こし、ケオウアの軍隊を飲み込んでしまいます。(現在も固まった溶岩の上に足跡が残っています) この時から「カメハメハは、女神ペレを味方に付けている」と噂されるようになりました。 ケオウアはその後1791年、酋長でありながらその神殿で生贄として捧げられました。
マウイとオアフの制圧
1794年、マウイ王カヘキリが老衰で死去。
カメハメハは、即座にマウイへ攻め上がり、 1795年2月、カヘキリの長男カラニクプレをヌアヌパリの戦い(オアフ島)で破って「ハワイ王朝樹立」宣言をホノルルで行いました。
写真は、ヌアヌパリ州立公園にある「ヌアヌパリの戦い解説図」)
カウアイ、ニイハウの平和的統一
しかし、まだカウアイ島では酋長カウムアリイが権力を持っており、1796年15,000人の軍隊をもって攻撃しようとしましたが、台風で失敗。 1803年に再び攻撃をしかけましたが、ペスト流行でまたも断念。
そして1810年、その頃から来航するようになった西洋人を仲介し、カウムアリイがホノルルのカメハメハを訪れて、平和的にハワイが統一されました。
以後、ハワイ王国は8代、100年間続きます。